プロフィール

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はじめまして!

よとうさんどっとこむを運営しているヨビ(@Yobimar_gatinho)と申します。

 

本名はキム・ソンヨブ。

みんなからは『ヨビ』とか『よとうさん』って呼ばれてます。

1992年4月6日の大阪生まれ、両親は韓国から日本へ来た駐在員だったから幼少期より日本と韓国を行き来してました。でも、大阪在住歴はなんだかんだ20年目に突入したので、

日本語に関してはジェンジェンモンダイナイヤデ、ホント。

 

職業はなにかというと、大学卒業して就職せず(厳密にいうとできず)新卒フリーランスとして多言語(日韓英葡)通訳・翻訳、エンジニアをしています。

 

ざっくりとこんなプロフィールですが、自分でもちょっと変わった人生を歩んでいる自覚はあるし、せっかくなので幼少期からの生い立ちを赤裸々に書いてみようと思います。

 

生い立ち(幼少期)

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おとなしく争いごとはすごく嫌っていて他人の争いを見るだけでも泣き出すような心優しい子供だったらしく、ただ自分の思い通りにいかなさすぎたら阿鼻叫喚し暴れまくるっていうロールキャベツ系男子っぽい一面もある男の子だったとのことでした。カワイイね!

 

両親が未だにはっきりと覚えている『よとうさんロールキャベツ男子ストーリー』は、

韓国から日本に戻る空港で父親が友人と談笑しているのを待ってられなくて空港の床に頭を頭突きしまくりながら早く行こうよと急かしたことがあるそうです。カワイイね!

 

保育園の園児の時の口癖は「たいへんだぁ!」。良いことがあったとか悪いことがあったとか関係なくとりあえず何かあったら叫んでたみたいです。4月6日生まれという同級生の中ではかなり早い方の誕生日ということを利用して「チミらよりワシの方が年上やねん」ということを知らしめたかったのか、誕生日になると「たいへんだぁ!〇〇歳になっちゃったー!」って言ってたらしいです。

 

今では死ぬほど早生まれでありたかったと思っていますよ、ええ。

 

生い立ち(小学校 〜日本編〜)

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小学校入学前から学習塾に通っていたから算数に関してはぶっちぎりで強かったということは覚えています。でも、勉強はある程度できてもスポーツは全然だめでした。だからクラスの女子にモテるなんてことは全くナシ(笑)

 

スポーツできるとカッコイイよなぁって自覚したと同時に当時テレビで観てた2002年のW杯に衝撃を受けサッカーを始めたいと思っても、学期中は日本で長期休みは絶対に韓国に帰省する生活を送ってたから「習ったとしても日本と韓国を行き来してるからチームに迷惑がかかるだけ」ってことでその思いは叶いませんでした。だから、みんなが野球やサッカーを習いに行ってるのが死ぬほどうらやましかったです

 

結局僕の娯楽はマンガとゲームだけになり、残念な小学校時代をあとに5年生の4月に父の仕事の関係で韓国にガチで帰省することになりました。

 

生い立ち(小学校から中1の秋まで 〜韓国編〜)

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写真は本当に僕が通っていた小学校です(笑)韓国のソウルとはいったもののソウルよりはるかに北にあるところで、最寄り駅(しかも終点駅)までバスで20分はかかる山の麓の街でした。厳密にいうと僕は韓国の埼玉県民ですね。

 

韓国に帰ったのは良いものの僕は学校教育を日本で受けていたので聞き取りはできるものの韓国語はあまり話せませんでした。日本から転校生がきたというニュースが流れた途端に学校中から珍しいものみたさに僕の教室に人が殺到したのを鮮明に覚えてます。「あれ、俺有名人やん。ってことはモテる?」って思ったのですが、結局モテるのはサッカーがうまい男の子で韓国語もままならない僕はあれよこれよと補習の嵐、得意だった算数も受験戦争大国韓国の前ではど底辺レベルでした。

 

モテにも勉学にも縁がなくなり、朝8時に登校して夜11時に塾を終えて帰宅するという日々を過ごしていた僕(※小5ですよw)ですが、学校でつるむ連中は小学生ながらクスリでもやってるのか疑ってしまうくらいぶっ飛んでるけど、成績は学年でトップ10に入る連中。彼らに助けてもらえたおかげで韓国語がペッラペラになり今では日本語と韓国語のどっちがファーストランゲージかわからないレベルになれました(笑)

 

現地で小学校を卒業し性格も成績もラリってる友達と同じ中学に入学しイタズラ系動画youtuberとして有名なベン・フィリップス(わからない人はググってね)も泣いて帰るレベルのイタズラをかましまくるイケイケな日々も束の間、約3年間の韓国での学校生活を終えて中1の秋に大阪にカムバックすることになりました。

 

生い立ち(中学校)

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※中学〜高校にかけてはかなり話が長く濃くなります。

抱腹絶倒なイタズラをしまくってゲラゲラ笑い転げてた韓国生活とは一転、日本では自分というものを切り売らないと生きていけない日々が始まりました。

 

大阪の同じ地域に帰ってきたから中学には同じ小学校だった子も多くいるので、ここもここで楽しい学校生活が送れるんだろうなって思ってたのですが日本に戻ってきて最初につけられたあだ名は「キンタマ」と「キム・ジョンイル」。それで気を悪くしたら「ノリが悪い」といって仲間外れにされるからイヤイヤながら受け入れてたらいじられ(ほぼイジメられ)役になっていました。

 

そんな中、中学2年の時に僕はひょんなことから学校で一番力のあるグループに入ることになりました。今までいじりという名のいじめをしてきた連中は手の平を返して僕のことを「くん付け」で呼ぶようになり、その中でも僕を一番いじめてきたやつ(カツアゲもしてきた)は「キムくんの人気はうなぎのぼりやなぁ!」と媚びを売ってくるようになります。

 

ただ、そいつに関しては絶対にタダじゃすませないと心に誓っていたので「お前には1年の時にされてきたことそのままやり返していくから媚び売っても無駄やで。ほなよろしく」と伝えるとその日以来彼を学校で見かけることはなくなりました。

 

このようなことから中学生ながら「これが権力か…」と完全に浮かれ始めるようになり、僕は人生で一番人間としてクズな時期を過ごすことになります。

 

『そのグループにいなくなる=権力がなくなる=1年の時に戻ってしまう』という変な強迫観念からグループの連中が遊びに行くとなったら部活は絶対にサボり、問題が起こってグループで呼び出しを食らうとだいたい僕が罪を被ったりしてました。マジでダサいし卑屈な人間ですよね。

 

ある日、そのグループの中でもイケイケだったやつが内輪の政治バトルで負けた途端学年全体から無視をされるようになったのを見て「このグループにいても結局卑屈やんけ!」と中3の秋にそのグループの脱退を決意。その情報が流れた途端僕に恨みを持ってた連中にケンカをふっかけられ受験を目前に大ゲンカ。「中学生活こじれまくりやろ!」って自分をコントロールできなくなり幼少期の阿鼻叫喚が再発、その日から人間関係っていうのに疲れてしまい誰とも関わろうとしなくなるのですが、まさかの人生でこの人だけであろう大親友ができました(笑)

 

人生は山あり谷ありということと、権力と政治の怖さを身を以て勉強させられた中学時代に辟易としたので高校は勉強だけに専念しようと1日10時間目まで授業がある高校に進学しました。

 

でも、高校はもっとやばかったです。

生い立ち(高校 〜一人パッチギ編〜)

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同じ中学出身は1人だけの完全に新しい環境でカス野郎だった中学時代とは打って変わって1年次にクラスの委員長を任されるくらいマジメな学校生活を送っていました。目標は早稲田大学、東京に行ったついでに遊びに行った時に見た早稲田の赤ふんどし野郎どもに戦慄を覚え「俺もこうなったんねん!」と、早稲田大学入学を夢みて突き進む日々。

 

勉強もがんばってたけど当時のクラスが男子クラスだっただけに、

カワイイ先生にはちょっかいかけまくりな日々でしたよ(笑)

 

担任の先生も年頃の男子高校生軍団のノリに合わせたりしてくれたりと勉強も遊びもイケイケドンドンだった1年生はめちゃくちゃ楽しかったです。

 

問題は2年生から。

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1年生の時に健全な男子クラスを楽しみ切った後、2年生もメンバーは違えど同じく男子クラス。1年生の時みたいに楽しいんだろうと思っていたら全く逆で地獄のような毎日でした。

 

自称進学校を名乗っていた高校だけど、質より量の授業のコマ数の多さにドロップアウトする連中が続出。2年生でも委員長にはなるがクラス内は動物園状態。うるさすぎて先生は進度を進めれず授業ではなく説教になるのは日常茶飯事。注意すればするほど僕はマジメぶってるウザい奴扱いされるようになりました。そのこともあってか僕の参考書が消えてはビリビリに破かれた状態で見つかることもありました。このことを担任に相談しても、「こいつの参考書パクってやぶくなよー」でおしまい。

 

「あ、もういいや」

 

こう頭によぎったその日からクラスメートを人間じゃなくて動物だと思うようにし、注意なんてすることもなく耳栓をつけてただただ内職をするようになりました。学期が変わると委員長も変わったので僕は教室の後ろの方でご隠居生活。時間割という名の説教時間、勉強もクソもない学校を途中で抜け出すようになります。

 

ここから始まった逸脱が僕の人生に大きな影響を与えてくれます。

 

いつもは学校っていう檻の中にいる時間に街に繰り出すと当然同世代なんて誰もいない。それでも世間が普通に動いているっていうことに感動して歩き慣れている繁華街をほっつき歩いてました。

 

ある日見つけた偏差値30の浪人生が半年で早稲田大学に逆転合格した『受験はゲーム』という本に衝撃を受けて、その人が代表をしている逆転合格した現役早大生に独学の仕方を指導してもらうオンライン塾で指導を受けながら独学を進めていました。その成果もあり模試で好成績を出し早稲田大学も射程圏内に

「何事も結局は自分の行動次第やな」と本当に気づいたと同時にドンドンと自分のペースで勉強を進めていきました。が、学校はそうはさせてくれませんでした。

 

ある日のこと、

先生:みんなと同じペースで進度を進めなさい

ヨビ:授業もまともにできてない状況じゃないですか、僕はうるさくもしないしただ静かに耳栓をして受験勉強するので放って置いてください

先生:チッ、朝鮮人が

ヨビ:!?

 

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初めて自分に向けられた差別用語。このことがキッカケで大げんか。

結局僕は2年生の終わりに高校をやめることになり、他校に転入することになりました。

「君が早稲田に受かったら、ぜひうちの学校の実績にさせてください」

 

最後の日に校長に言われたこの一言で僕は教師というのが大嫌いになりました。

 

高3は勉強するだけの日々で特に何もなかったのですが、

早稲田大学は全部不合格でした。

 

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浪人したくて親に土下寝したけど、入学式用に買ったスーツがきてみたい欲が抑えきれず結局関西学院大学という大学に進学することになります。

 

 

生い立ち(大学生活〜就職活動)

ここに関しては1年ほど前に作成したブログがありますのでそちらをご一読いただければ!

http://yotousan.com/homeless

http://yotousan.com/homeless2

http://yotousan.com/homeless3

 

まとめ

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中学高校時代は一生ものの黒歴史でしたね(笑)

でもこういうことを経験してきたから、普段はとても気軽で陽気なジョークを飛ばすのが好きな人間ですのでお気軽にブログをたのしんでいただければと思います!

 

ではでは〜!